熱い人と熱くない人 

2014, 09. 19 (Fri) 23:03

運動会シーズン

熱くなれる生徒と熱くなれない生徒。
どこに違いがあるのだろう、と疑問に思っています。

私も熱くなれるときとなれないときがありました。

運動の得意不得意だけではない、熱くなれない時があります。

熱くなれるときっていうのは、わくわくしたり友達やクラスメイトなどの関わりのある他者との、コミュニケーションが楽しいときだったような。

全員で何かに向かうという集団の昂揚感は、戦争に向かうときや戦時中の日本に似ているのでは?

NHKの朝ドラ「花子とアン」を見て感じました。

そう思う今の私には熱くなりきれないものもあります。

 熱い派、熱くなれない派どちらにとってもよい運動会となりますように。

何を指針に教育に関わるのがいいのか。

もやもや。

先生たちに何を大切に子供の教育に関わっているかを聴いてみたいものです。

ごきげんよう。



 
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わたし 

2014, 09. 17 (Wed) 21:48

私のかいたものが何にもならないものかもしれない
あるいは後の何人かの立場となるものかもしれない
私にはただ私の途(みち)を進み行く外ないのです。 

京都にある哲学の道の生みの親で「善の研究」などの哲学者、西田幾多郎のNHKの番組「日本人は何を考えてきたか」を見ました。

番組のエンディングで冒頭の三行が読まれました。

日中戦争や太平洋戦争の時代に当時の政治にも影響を与えるまでの哲学をした人。

この番組を見て思ったこと。

自分で考え、希望するものに自ら進んでいくことの行為の継続をしていくしかない。

今の環境がどんなものであろうと、私が何を考えてどう進んでいくかは自分次第。
自分を大切にするということが前提になるのではないでしょうか。

我慢は時に美徳ではないものだと思いました。

感謝。


 

いつも希望を持って楽しく生きること 

2014, 09. 16 (Tue) 18:22

丸1ヶ月ぶりの更新となってしまいました。
ブログを継続する優先順位が日々の活動で低かったということ。
運転しながら、人と話をしながら「!!」とネタになることが浮かんではいたのですがさぼってしまいました。
夜が長くなる秋に入り、また意欲が出てきましたので書きます。

twitterやfacebookでは名言集のようなものに登録して、時々自分を奮起させています。
野口晴哉(はるちか)という独自の野口整体を開発した人の名言集(野口晴哉bot)には心の持ちようのことがよく出てきます。

『いつも希望を持って楽しく生きること。どんな苦しみも避けないで迎えうつこと。余分に苦しまないこと。不幸や苦しみを知らないこと。それ故養生の人は不幸や苦しみを見ません。
こうして楽々悠々生きておりますと、自ずからその息が深く調って乱れないのであります。』

野口は体の養生について独特の見識をもっていて、息や体の癖と心のありようを関連づけているようです。

希望を持ち楽々悠々として、苦しみを避けず迎えうつ。余分に苦しまない。不幸や苦しみを見ない。

対人援助の仕事は相手の苦しみや不幸に寄り添うことも多いです。
苦しまなくていいんだよと相手が自分自身に思えるようになってくることを目指す援助といってもいいかもしれないと最近思います。

『余分に苦しむこと』をいつの間にやら人生の中心にしていないでしょうか。

背骨が柔軟で大きくゆっくり息をして秋の夜長を充実していこうと思います。

感謝