教員との相談 

2018, 02. 22 (Thu) 06:42

学校でカウンセラーをしていると、ニコニコしてるように見える児童の背景にある哀しみに出逢うことがあります。

担任の先生だったり教頭先生などが、その子のためを思って援助の関わりをしてくださる。
担任は集団の指導と個の援助のバランスや、心理的な援助のあり方を求めて、カウンセラーに相談してくださる。

そんな時、児童の哀しみや担任の労苦を共に哀しみつつ、児童のよりよい援助方針を組むチームの雰囲気が担任とカウンセラーに醸成される。

理論や技術は援用するけれども、担任や児童、学校のあり方を理解し大事にしないことには、雰囲気すら壊れてしまう。

実際に学級の様子を見たり、児童と関わらなくても担任や教員の相談だけでも快方に向くこともあります。

それだけ教師のあり方の影響力は児童・生徒に大きいのだと思います。
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陰陽と虚実 

2018, 01. 08 (Mon) 01:23

1月8日月曜日、成人の日です。

関東でいうところの松の内が明けたので、

ブログも再開します。

年末に父を見送った後に見た二重の虹を、
知り合いの息子さんは
子供が産まれたタイミングで見たといいます。

スッキリとした清らかなメッセージを感じたのは、
わたしも息子さんも同じでありましょう🌈

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ためを想う 

2017, 12. 31 (Sun) 21:23

12月31日日曜日の大晦日です。

今年は共同体ということを意識した1年でした。

誰かのお役に立てる喜び、
お役に立とうと行動することで得られる学び
をたくさん得られ、考えさせてもらいました。

時にはそこにいてくれるだけで、
ありがたいと思うことや声をかけてもらえて
しあわせと感じることもありました。

しあわせな共同体というのは
自分も幸せ、相手も幸せな関係が
ずっと繋がるネットワークなのかと思います。

家族、友人、仕事の人間関係、まだ見知らぬ関係までも、
誰かの、何かのお役に立つことが
来年以降もできるように精進していきたいと思います。


たくさんの人の力をいただき、
たくさんの人のお役に立てたと思う1年でした。

お世話になりました。

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。




人生には意味がある 

2017, 12. 30 (Sat) 09:41

12月30日土曜日です。
昨日は1人の時間を過ごしました。

人生を見つめる時間となりました。
妻とは共通の関心事がいくつかあります。

妻の書棚にある V.フランクルの書を読みました。


どんな時も、人生には、意味がある。

この人生の中のどこかに、
あなたを必要とする「何か」があり、
「誰か」がいる。

そしてその「何か」や「誰か」は、
あなたに発見されるのを待っている。

だから、たとえ今がどんなに苦しくても、
あなたはすべてを投げ出す必要はない。

あなたがすべてを投げ出しさえしなければ、
いつか自分の人生に"イエス"と答えることの
できる日が必ずやってくる。

いや、たとえあなたが人生に"イエス"と
言えなくても人生のほうからあなたに
“イエス”と光が差し込んでくる時が、
いつか、かならずやってくるはずだ。

Viktor.Emil.Frankl
<生きる意味>を求めて 春秋社

感謝。


変化の前兆 

2017, 12. 27 (Wed) 13:50

12月27日水曜日です。

去る23日にわたしの父が他界しました。
82年の生涯でした。

戦中戦後の極貧生活から、
奨学生として高校、大学校に進学して、
妻と4人の息子を育てながら、
褒賞を受賞するような立派な父でした。

仕事のことは父の弟妹には話していたそうですが、
わたしたち家族には自慢することもなく淡々と御務めしていたようです。

葬儀の際に叔母からたちから、
いくつか尊敬するエピソードを耳にしました。


葬儀を終えた後に、
父からのメッセージのような、
綺麗な二重虹がほんの数分だけかかりました。



生前の父に会えたのは1月前に帰省した時でした。
3年前に交通事故にあってからは
言葉による会話が難しくなっていました。


孫の顔を見ることが
何よりの喜びだったと母が言っていました。

12月19日の仕事場の電球が
同時に3個切れたのも前兆だったのかな。

父の死も変化のプロセスの一つ、

父のことで数日感じてきたことも一つ、

何かの事象が起こった時のひとつひとつに

感じることを丁寧につきあっていこうと思います。

心理学、佛教などを学んできたおかげで、

虫の目、鳥の目で自分を見ることができてきてるようです。




この世の未練、執着から離れて
来世に渡ってください。
南無阿弥陀仏。
合掌。


ありがとうございました。